今日の朝、母親と口論。
(まぁ良くある事なんだけど)
テーマは二つ。
①野菜
②宗教
について。
野菜についての口論とは。
俺の事を知ってる人は分かると思うけど、俺は野菜をほとんど食べない。
なぜか?
嫌いだから。
なぜ好きでもないものを我慢して食べなければならないのか、全く分からない。
母親に「なぜ野菜を食べなければならないのか」聞いたところ、バランス、だそうだ。
バランスを考えていたら、肉なんて食べれないよ、ハッキリ言って。
「栄養のバランスがなぜ大事か」聞いたところ、将来、生活習慣病にならないため、だそうだ。
ふ~ん、
俺は細々と生き絶え絶えに100年生きるより、食いたいもん食って、やりたい事やって50歳で死んだ方がいいし、長生きそのものに興味はない。長く生きることよりどう生きるかの方が俺にとっては大事。
そこから話は餓死で死んでしまうような国に。
(朝にしてはなかなかのテーマでしょ?)
子供にまずいものや、嫌いなものをガマンさせて食わせる親がいるが、俺はよく分からない。
特にウチの母親はボランティアをやっているんだけど、「子供がまずくて食いたくないものを、食わせるより、餓死で明日にでも死んでしまう子供にあげたり、送ってあげた方がよっぽどいいんじゃないの?」と、俺は言った。
それでも、大事なのは、バランス、だそうだ。
ぜひとも、ボランティアをやっている人にこの事についてどう思っているか、考えてもらいたい。
もし、うちの子がやっぱり大事、とか思ってるんだったら、家事全般をほったらかしてボランティアなんかやらなければいい。(ウチの母親です)
周りに対していい子ぶっている様に思われてもしょうがない。(やってる事に一貫性がなく、説明も満足に出来ないという事で。)
そこから宗教へ。
この前の法事もそうだったんだけど、宗教に基づいて行われた。
これ自体に悪いとは思わない。人それぞれ宗教と言う物があるわけだし。
ただ、それに対して俺たちがそのしきたりにのっとらなければいけないかというと、俺はそうではないと思うし、それが宗教だと思う。
これも聞いてみたところ、母親曰く
「私はローマに行ったとき、お祈りしたよ」とのコト。
じゃあイスラムの国に行ったら、肌を隠して、断食の時間には断食して、アッラーにお祈りする時間にはお祈りするのか、と言ったところ・・・
何も言えず。
大体、宗教をやってる外国人がそのしきたりを他の国から来た他宗教の人に対して強要するだろうか?
つまり、断食の時期にイスラムの国に行って食う物が無いから食えない、という事ではなく、その国に行った時に、今は断食の時期だからオマエも食うな、って事。
そんな事言わないでしょ。
ウチの母親はよく自分で「私は日本人ではない」(考え方で見た目は明らかに日本人。)みたいなことを言うけど、
間違いなく日本人の典型で、共同体依存症です。
日本独特の、出るくいは打たれる、自分たちの共同体から離れて何かをしようとしている人はゆるさない、みんなで力を合わせて一緒に頑張っていこうね症候群です。
みんなと違うことはやってはいけないという事が、意識的ではないにせよ、細胞の一部に染み付いているのでしょう。
俺が分かっているわけではないけど、彼女は俺よりも分かっていない事に気づいていない。
50年弱、何をして、何を感じて生きてたんだ?
きっと、のほほんと、他者を設定することなく、危機感を持つ事も無く生きてきたのでしょう。
と、言う事で、母親に言っても「分からない」ので、愚痴ってみました。